2011年3月16日水曜日

震災から5日が経ちました

このblogは自らの創作に関する話題のみを扱っていくつもりで立ち上げましたが、今回だけは日常の話題を綴ります。
というか、全然日常じゃありませんけど…。

3月11日に発生した大震災から5日が経ちました。当初全く繋がらなかった携帯電話も通じるようになり、友人・知人の安否も確認できてほっとしているところです。
自宅のある仙台市宮城野区では、液状化による道路の隆起・陥没・断絶や、一部の古い家屋の倒壊等がありましたが、どうにか自宅・家族共に無事に済みました。家の中は滅茶苦茶でしたが…。

仙台市の中心部は徐々に落ち着きを取り戻しはじめ、一部の飲食店では通常通り定食などを提供してる店舗もあるそうです。
ですが一方で、同じ仙台市でも海沿いの方は状況が一変。地震後の初期段階の報道で多数の犠牲が伝えられた荒浜地区をはじめとして、各県の海沿いの町が壊滅的な状況に陥っていることはご承知の通り。
コンビナートが何日も燃え続けた仙台港付近などは、火災以外ほとんど報道されていませんが、現場近くに勤務している親戚の話では多数の遺体が津波の引いた道路に横たわっていたそうです。

個人的にも仙台港は毎週のように買い物に出掛ける近場であり、また町ごと壊滅した亘理町へは地震の翌日にいちご狩りと日帰り温泉のドライブに出掛ける予定でいました。同じく壊滅した新地町は過去に友人達と何度か旅行をした思い出の町です。つい先月もそこを通る国道6号線を通っていわき市まで出掛けたばかりでした。いくら中心部が復旧していると言われても、自分にとって身近な地域の惨状を脳裏から押しやることはできません。ライフラインや交通機関の不通、食料や日用品、ガソリンが入手できない非常事態に身を置いていることも関係しているのかも知れませんが、今はまだ、当たり前の日常を当たり前のように受け入れるなんて無理です。

ですが、できることから戻していかなければならないのも確かです。丸ごと津波に飲まれた町を復興するには、とてつもない時間がかかります。でも、被害の少なかった地域、サービスならばそれだけ早く元の状態に戻せます。少しずつでも町が平常に戻れば、人の心も平常に戻る。であれば、この状況下で定食を提供している中心部の飲食店の存在はその一歩であり、利用客の精神安定に与える効果はただ一度の食事という以上に大きいと思います。

震災以降休んでいたtwitter上での創作活動ですが、ネット環境が復旧してきたこともあり、自分を奮い立たせる意味でもそろそろ再開したいと思います。

被災地の一日も早い復興を願いつつ。

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